MBA挑戦記④(恐怖のグループワーク)

慌ただしく渡米し、全く知らない土地、米国ピッツバーグでの生活がスタートしました。
ピッツバーグは、今話題のUSスチールの本社があり、昔フラッシュダンスという映画の舞台に
なった鉄鋼の街です。現在は、全米の中でも住みやすく安全な町にランクされるほど
風光明媚な美しい町です。

怒涛のMBA生活スタート

さてそんな美しい町の風景を堪能する暇もなく、怒涛のMBA留学生活が始まりました。
何を言っているか分からない、まるで呪文を聞いているような英語での講義を受け、
高級ホテルや高級マンションのロビーに飾ってあるオブジェとしての役割としか
認識していなかった分厚いハードカバーの英語の本を何冊も読まされ(自分の為なんですが、笑)、
本当に山のような宿題の提出期限と格闘する日々でした。睡眠時間の確保も難しく
日々眠気との闘いでもありました。

留学の洗礼:居場所のなさ感

そして今でも鮮明に思い出すのは、グループワークでの”居場所のなさ感”が半端なかったことです。
まずグループを形成する「入口の段階」から”居場所のなさ感”が始まります。
日々の授業の中ではグループとして課題提出を求められることも多く、入学後最初の3か月は
学校がグループを振り分けてくれるのですが、その後は学生の自主性に任されます。優秀な
人は次々に声がかかり自然とグループが形成されるのですが、英語が話せない、何ができるか
分からない人は自然と(当然ながら)さけられます。なぜなら優秀な英語ネイティブの人に
とってもハードな日々なので、できるだけ優秀な人と組んで、効率的に質の高いアウトプットを
だし、良い成績をとる必要があるからです。当たり前の経済の論理といえばそうかと思います。

ただし逆の立場の人にとってはたまったもんではないです。「(会社ではなく)学生の立場なのだから
もう少し学校も留学生に配慮してくれたらいいのに」、と当初はネガティブに感じていましたが、
恨んでいても何も始まらないので動きだしました。「Can I join in your group?(グループに
入れてもらえない?)」と声をかけていきました。小学生が引っ越した直後に友達がいないので
友達づくりをはじめた時の心境です。ただ小学生と立場が同じだとしても、大人なのでより強い
自尊心があります。しかし「プライドが・・・」とか言っている場合ではないので、何とかして
グループに入れてもらえるよう働きかけをしました。意外なことに、恐る恐る、でも思い切って
声をかけはじめると(ダイバーシティの精神が根付いている米国という風土もあるのかもしれませんが)
どこかしらのグループには入ることができました。日本人の留学生にも沢山お世話になりました!

なんとかグループに入ることができたものの、その次に本当のグループへの貢献が求められます。
グループの中で存在感(価値を提供できる人であること)を示さないといけないのですが、
武器と言えるものがなかった私は「自分がやるべき範囲のタスクは必ずやる」「雑用は
率先してやる」の2つを徹底していました。私の行動は、グループに付加価値をもたらす
レベルの貢献とはいえなかったかもしれませんが、地道に取り組みました。少しずつではありますが
「居場所のなさ感」から脱出できたかと思います。主張はするけれども、地道なことが苦手な
国の人達も多くいるので、日本人として教育を受けてきたこと&商社OLとして地道に仕事をして
きたことは、ある意味ニッチな領域で存在価値を示す上で役立ったかもしれません。
思い出すとなんだかとても切ない気持ちに今でもなりますが(若かったから何とかできなのかも?)
兎にも角にも、「グループワーク」は私のMBA留学で忘れることができない思い出の一つです。

MBAでの学び

そして長年仕事をしてきた中で感じるのは、仕事は基本、人との関係で成り立つことが大半
(顧客、上司、同僚、部下、業者の方々など)なので、「約束は必ず守る」「相手が面倒だと思う
こと、もしくは嫌なことに率先して取り組む」といった相手の立場を考えた行動をとれるか否かが
仕事の成果をわけるとても重要なポイントだと感じています。このあたりは世界各国共有な
気がしています。

同時に、グループで仕事に取り組む場合、やはり前提は「”個”として各々が強くあるべき」だと
強く感じているのは私の留学時代の体験が大きいです。より大きな成果を出す為には、
「強い個」同士が結びつき、その有機的な連携でより大きな成果が出ると感じています。
誰でも各々の人生経験から複数の強みを持っていると思います。まずはそこに気づき、
その強みを磨き、価値に変えていき、「自分の価値」×「仲間の価値」が更なる大きな
価値を生む、そんな構図をウーマンテイクオフでは作っていきたいと考えています。

問われたこと:人間としてどうあるべきか

追伸:MBA SCHOOLというと、「合理的に考えて、利益にならないものは人も物も切り捨てるような
精神を植え付ける場所」というイメージを持たれるかもしれませんが、実は
「人間としてどうあるべきか」、ということを問われる機会が多かったです。入学直後に
「Ethics (倫理観)」の授業があり、グループで対話をし考える時間も印象的でした。
今でも日々の仕事をする中で色々な場面に直面します。その時の判断の軸になるのがまさしく
「人間としてどうあるべきなのか?どうありたいのか?」というところなのだと思います。
日々勉強ですし、考えさせられます。

本日もお読み頂きありがとうございます。

関連記事

RELATED POST

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP
MENU
お問合せ

TEL:0120-333-4444

(月 - 金 9:00 - 18:00)カスタマーサポート